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紫波光太郎

Author:紫波光太郎
人間を肉体とみるか
エネルギーの集合体とみるか
見方を変えることで真の病気の原因がみえてくる

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人生の最後
No.185

先日マザーテレサに関するテレビをみました。

この中でとても考えさせられたのが「人生の最後に幸不幸が決まるんだな」ということでした。

彼女は、誰からも助けられることもなく道端でのたれ死ぬような人達を寺院に連れていき看病

するということをしていました。

それは「人生の最後くらい愛を受取ってあの世へ送ってあげたい」という思いからだそうです。


人生の最後に愛をたっぷり受けてあの世に戻れたらこれほど幸せなことはないかも知れませんね。

逆に、誰れにも看取られず孤独に死んでいく人はとても可哀想ですよね。

あの世には、地位や名誉、お金などは持って行けません。

でも、愛のエネルギーは持って行けると思います。

それは魂に刻まれるエネルギーだからです。

悲しみや孤独感も同じように魂に刻まれてしまいます。

そう考えると、最後の最後の死ぬ時にその人生の「幸・不幸」が決まるのかも知れません。


貧しくて、地位も名誉もない人の人生でもマザーテレサの腕の中で愛をたっぷり受けて死ねる

人は、それが一瞬の短い時間であっても「最高に幸せな人生」となるのではないかと考えました。


今の医療はその点でどうなんでしょうか・・・。

よく「畳の上で死にたい」とか「自宅で死にたい」と言いますよね。

それは、死ぬ場所というより「愛する家族に看取られて死にたい」と言う想いなのではないで

しょか。




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SV-1 | 16:58:36 | Trackback(0) | Comments(0)
枯れるように
No.184

最近叔父が肺がんで亡くなりました。

叔父は、とても自然が大好きで自然とともに人生を送ったと言っても過言でない

行き方をしていました。

いつも野山を散策しては、季節の山菜をとって食べていました。

借りた畑で野菜を作り、盆栽が好きでいつも植木をいじっていました。

誰かと争うこともなく、少しだけの食事と大好きなお酒を少しだけたしなみ、ゆったりと

生きていました。


肺がんになってしまいましたが、病院が嫌いで病院の治療は受けずに自宅で最期を

迎えました。

病院では、余命1か月と言われましたが1年以上生き続け

死ぬ3日前までご飯を食べ、その後は水だけを飲んで眠るように死んでいったそうです。

まったく苦しまずに・・・。


癌のイメージはとてもつらく苦しい病気のイメージがありますが、この叔父の最期をみ

るとその考えが一変しました。

癌が辛いのは手術や抗がん剤などのダメージによるものではないのかと・・・。


人間も自然の動植物と同じように最後は枯れるように死んでいけるものなのではないかと。

本来、死とはそのようなものなのではないかと。

改めて「自然と調和しながら生きよう」と思ったのです。





SV-1 | 11:38:30 | Trackback(0) | Comments(0)
ありがとうございました
No.183

12月7日の講演会には全国からユーザーの方や医療関係者などたくさんお集まりいただき

心から感謝申し上げます。

参加されました皆さんの有益な情報となっていれば嬉しく思います。

また、これからも研究成果をこのような講演会で発表してまいります。

ありがとうございました。

SV-1 | 14:10:54 | Trackback(0) | Comments(0)

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